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[朝鮮日報] 「私は末期がん患者だ」と自転車に乗り評判になっている男性

알 수 없는 사용자 2012. 6. 27. 17:16

「はい、私は肺癌第4期です」彼は自分の病名をまるで高校の卒業式の答礼のように言ってのけた。「妻が私に『癌になるって自慢よ』と言いました。私が人に会うたびに『肺癌第4期』とまず最初に言うからでしょう」。彼は「癌は私の友達」であるとも語っている。来年還暦を迎えるキム・ソンウクは今、「感謝すべき」癌とともに全国自転車旅行に出発した。臨津閣を出発し、江原道高城を経て、以後韓国をジグザグに縫うように6ヶ月間、総7000キロの距離、自転車のペダルを踏む計画だ。この大旅行に彼の妻パク・ジェラン(56)が同行する。彼ら二人とも自転車に乗るのは中学生の時以来初めてである。全国を走りつつ癌患者たちと会い、彼らに「末期がん患者である私もこのように明るく生きています、勇気を出しましょう」というメッセージを伝えるつもりだ。7週間にわたる自転車のトレーニング中の夫婦と、去る(4月)23日ソウル漢南洞のある喫茶店で会った。



- 自転車に乗るのにトレーニングは必要ですか?


「今、最終段階です。7週間毎日2時間ほど自転車の訓練を受けています。私はスキー講師の資格を持っているほど、スキーには自信がありますが、すべり始める時には最初にレッスンをしっかり受けます。だから自転車も専門家からレッスンを受けているのです



オーストラリアで長い移民生活を経験した彼は、スロープではなく雪山でのスキーを楽しみ、そうしたワイルド・スポーツに一種の「真価」を悟った、と語った。今彼は自転車上の名声を得つつある。




- 自転車旅行にはいつ出発しますか?


「28日に結団式を行います。その間助けてくださる方々を前に公開形式で結団式を行い、責任感と覚悟を誓います。そして5月1日午前、臨津閣を出発する計画です



- お二人だけで行かれるのですか?


「ロード・マネージャーと旅行作家がそれぞれ1名ずつ、車で同行する計画です。今度の旅行から帰って、本を出す予定です



彼はすでに自転車旅行のホームページも作っている。ホームページの名前は「 cycling4cure.com」。治療のための自転車こぎ、という意味である。このホームページを通じて、各区間を自転車で一緒に走る参加者も公開募集し、1キロにいくらずつ、と後援してくれる人も募集する予定である。彼は「できることなら、10万名ほどの後援会員を集め、彼らから1キロ10ウォンずつ、1日あたり7万ウォンを集めて『レンス・アームストロング財団』のような癌患者の財団を作りたい」と語った。



- どのように末期がん患者であるあなたが、自転車での国土一周を計画するようになったのですか?


「妻と以前から『退職したら自転車で世界一周してみよう』と話してきました。その時はオランダを出発してヨーロッパから自転車で世界を一周する計画でした。しかし突然癌にかかってしまったのです。抗癌治療を受けて何の意欲もなくなり、ずっと家にいてある日妻が『あなた、自転車に乗ってみましょうよ』と言いました。そして始まったのです」




彼は2010年11月11日肺癌第4期の宣告を受けた。それよりひと月ほど前の10月18日出勤途中で、何かがつかえたようにみぞおちのあたりが重く感じた、という。病院に行ってみたところ、胃酸が逆流するような気分がしたので、消化剤を処方してもらった。しかしみぞおちの重さは消えることなく、いっそう疲労がつのり、横になることも座ることもできないような状態になった。心臓弁膜に溜まった水を抜く手術に続き、癌宣告を受けた。



「医師が癌にかかっている、という事実を告げてくれたが、映画のように悲嘆にくれる、ということはなかったですね。そしてコンピューターの画面を見ながら『肺癌第4期です』と無味乾燥につぶやく気分は全く異常でした。末期癌であるため手術は不可能で、抗癌治療を受けねばならず、後遺症に対する説明をしてくれましたが、何も聞こえませんでした。高い絶壁から真っ逆さまに突き落とされたかのような気がしました」



- 今、お顔も明るく、全く癌患者らしくありませんね。


「癌にかかって真っ先にパニック状態になりました。そして抑鬱状態になりました。そして諦めの段階に進みます。この諦め段階が一番大変です。何をするのも嫌で、できない状態です。抗癌治療を受けて神経が麻痺し、食べ物の味もわからなくなります。そして何も食べたくなくなり、また食べなくなって自然に力が抜けていきます。そんな時私はひたすら意志の力だけで生きていたようなもので、もしその意志までも失ったら、そうですね、ぶらぶら病のあげくに死んでいたことでしょう」



- では、どのようにして意志を取り戻されたのですか?


「妻の勧めで少しずつ散歩を始めました。昨年3月頃でしたが、全ての大地から芽吹いていることに気付き、大きな悟りと希望とを得ました。苦痛の後には必ず平安という対価が払われる、ということがわかったのです。癌宣告を受けて得た恐怖が大きければ大きいほど、その後に得られる平安も大きいという事実を悟りました。そうして北漢山(ソウルの北にある山)登山に行った時、妻が自転車旅行の話を持ち出したのです」



二人は2007年に結婚した。キム・ソンウクは初婚であったが、バク・ジェランは死別による再婚であった。特に妻は前夫が糖尿病を14年間患った経験があった。そのように「新しく出会った夫まで末期癌宣告を受けた時、私は呪われていると思いました」。と妻は言う。続けて「私は夫が病気を患う運命なの、と考えると、とても寂しくなりました」と語った。



- 最初は自転車でアメリカ横断をしようとなさっていたとか?


「一番最初の計画では2014年に、私たち二人でアメリカを自転車で横断する計画でした。しかしお医者さんが2014年の生存率は10パーセント以下だ、生き延びたら国内旅行でもしなさい、と言ったんですよ。そうしてアメリカはやめて韓国から始めることにしたんですよ、ははは」



二人は10月31日済州島漢拏山頂上に登るまで6ヶ月間自転車で全国をめぐる計画だ。時速10〜15キロのの速度で、1日50キロずつペダルを踏む予定で、可能な限り宿泊施設を使用せず、テント生活をする考えである。夫婦は「自転車に乗るということは、自然の中に入るということであるため、よほど天気が悪くないない限りテントで眠り、本当にきつい時にはお湯の出る部屋を利用する」と言っている。





- 今のお体の状態はいかがですか?


私は医師に私の癌はどこまで転移しているのか、大きさはどれほどなのか、は一切尋ねませんでした。腫瘍の大きさを知ったからといって、何の役にも立たないでしょう?病状を知っている医師と私の医学的知識の差を減らすことはできませんからね。私ができることは、とどのつまり考えることだけです。人間は理想と現実とが一致しないことによりストレスを受けるのです。私にしてみれば、自分が健康だという理想と、自分が癌患者であるという現実が一致していないということでしょう。もちろん難しくはありますが、私は理想も現実も何の問題ないように一致させようと努力しています。2014年に私が生き延びる確率は10パーセント以下ですが、もしもその時まで生きていれば、私に残っていたのは10パーセントの命ではなく、100パーセントの命が残っていたことになるでしょう 



彼は去る3月9日ソウル大学病院で咽頭部の検査を行った結果、体力が167ワットであった。60歳代男性平均体力の139パーセントに該当する数値である。去る18日再び咽頭部下の検査を行った時、この数値は201ワットにまで増加した。病院の人々は「どんな癌患者の体力が日ごとに好転しているのか」と驚いたという。彼は「癌は医師で20パーセント、本人の意志で80パーセントで治るという考えを持っています」と語った。



- 自転車のために仕事を辞められた、とか?


駐韓スリランカ大使館労務官として働き、2月末に辞職しました。自転車旅行のためです。考えてみると私はあまりにも人生を無闇に生き抜いてきました。私の最初の職場は日本の貿易会社の韓国支社でした。この後、カーペットや家具のような、いわゆる「贅沢品」の輸入業をして、とても金を儲けました。しかし韓国の第5共和国政権がこのような業種に対して取り締まりを強める風潮になり、すべてを捨ててオーストラリアに移民しました。その時同業者から大きな詐欺にあいました、オーストラリアで建物掃除をし、不法在留をしながら働きつつ、再び立ち上がりましたが、その時、人生の最も重要なものを悟りました



- それは何ですか?


「すなわち『ファン(FUN)』というものです。外国で生活しながら、外国の友達と楽しく過ごしながら、人生で一番重要なものが楽しさである、という事実がわかるようになったことです。事実、今『ファン』がなければ、癌に勝つことが難しいのです。私が作ろうとした言葉があります。それは『FUN』に、癌『CANCER』の『C』、そして『TION』をくっつけると、『FUNCTION(機能)』になります。面白くてこそ機能になる、ということです。私は人生をあまりにも忙しく、他人を見る時も損益得失だけを勘定して生きてきましたが、結局仲間もなく、一度も自分自身を振り返って見ることもありませんでした。そんな点からも癌に感謝しています」



- 感謝、ですか。


「癌のために人生を振り返ることができるようになったためです。自分の内面を振り返ると、人々がする通りに従う人生ではなく、自分が主導的な立場に立つ人生を生きることができるようになったからです。今、私は人を見る時も、まず長所から最初に見るようにしています。私は癌にかかる前よりも、一層明るく肯定的な正確になりました。癌にかかって大きな衝撃を受けている人ほど、何かを成し遂げるものが多い人たちなのです。今まで楽しみもなく、死力を尽くして生き抜きてきただけですから、癌にかかったのでしょう。だから挫折も大きかったのです



- 自転車財団を作っている、と聞きましたが。


「骨肉腫で足を切断した後、義足を付けてマラソンに出た、カナダのテリー・フォクスラーという人がいるでしょう。この人が自分よりももっと難しい癌患者たちのためにマラソンに出る、と言った時、誰もがあざけり笑いました。しかし今まで彼の希望を支持し、集めた賞金が5億ドルになったと言います。癌にかかったら自分を怨み周囲を怨み、全ての関係を絶ちます。しかし私より一層大変な人たちに力を与えることができる方法、できるなら癌患者の子女たちの奨学金として使える賞金を集める財団を作ることが私の願いです」



これからの計画は?


「国内一周が終われば、来年7〜8ヶ月かけて日本全国を一周し、後年にはアメリカ、その次はオーストラリアとヨーロッパに行こうと思っています。しかしながら私はベットで寝ているかもしれません。『私は肺癌患者です』と叫びながら世界を回る考えです。珍しいことに『私は肺癌です』と話せば話すほど、癌が主語から三人称に変わるのです。そうしていつか癌細胞も風のように飛んでいくことでしょうよ」




"[ハン・ヒョンウのカーテンコール]

「私は末期がん患者だ」と自転車に乗り評判になっている男性" 

朝鮮日報, 2012年4月28日土曜日[한국어 기사 보기]